大東亜戦争期
最重要資源であった石油や南方資源の確保を目的に太平洋戦争(大東亜戦争)が開戦した後、数少ない機械化師団が投入されたマレー作戦などの成功例はあったものの、多くの歩兵の移動は相変わらず徒歩による行軍がほとんどを占めていた。
本国から遠く離れ植民地の現地軍しか存在しなかった英・蘭植民地資源地帯の制圧に成功したが、海軍が米国を先制攻撃した結果、米国を参戦させる結果を招き、徐々に太平洋上島嶼の制海・制空権を失って日本本土は慢性的な資源と食料の不足に悩まされ、大規模な空襲に曝された。この結果、国民生活は破壊され継戦能力は急速に失われた。
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一方で、インパール作戦に代表されるような兵站を軽視して精神論に固執する指揮官も存在したため、戦闘による戦死者以上の餓死者を出す結果となった。同時に占領地からの食料徴発が飢餓を招き、当初は日本を植民地支配からの解放者と歓迎した住民達の反発を呼んで、各地で連合軍に協力する地下組織が生まれた。
やがて連合軍が地上でも反攻を開始すると、第二次大戦初期の戦訓から対戦車戦闘能力が強化されていた米英軍機甲戦力と航空部隊の地上攻撃の連携の前に、歩兵支援用途で設計されていた日本陸軍の機甲戦力は粉砕され、貧弱な補給も途絶えた歩兵部隊の玉砕が各地で続いた。